中学生の時、先生と生徒との
1対1の会話ツールで
連絡帳があった。
僕らの中学では、それを
【あゆみ】と読んだ。
日常の出来事など、日記みたいに書いて
先生がそれにコメントするような形だった。
今思えば、
先生は生徒40人と毎日コメントを書くので
ただの苦行と言わざるを得ない。
そんな私は、
日常日記だとつまらないので、
1人よがりな主張を良く書いていた気がする。
例えば優しさについて。
優しいはどうやって評価されるのか。
誰かに優しくされた。
それは
優しくされた相手が認識して
初めて優しくした相手が評価される。
ただ、優しすぎるがあまり、
その優しいことを主張せず、
隠す人は
どうやって評価されるのか。
優しい人は目視だけではわからないものである。
みたいな。
そう言うことを書くと
必ず担任から、
イカリの書いた文章を
帰りの会で読み上げてもいいか?と聞かれる。
恥ずかしいので、
見返りに内心点上げてもらえますか?
と聞くと、
考えとく、と先生はいう。
先生の言う考えとくは、
期待せざるを得ないので、
シブシブ了承をしていた。
そんな生活をしていると、
気がつく、、、
半分は言い過ぎだが、
年間の1/3くらいは私が帰りの会を席巻していることを。
もはや、これは、
宗教ではないか。
私が教祖で、先生が幹部信者だ。
信者は稀にじっくり聞くものはいるものの、
教祖を崇める(あがめる)ものはいない。
信者に崇められない、
教祖は、、、、
もはや、、、、
ピエロだ、、、、
内心点というエサに
公開処刑を受けるピエロ教祖
あれから25年、、
きっと、
同級生の心に
ピエロ教祖の
優しさの定義が刻まれているだろう。
※※
絵 と タイトル で恐怖感出過ぎたので
タイトルに(笑)を入れました。
和らいだでしょうか?
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